岐阜市の皆さま、初めまして。
私は岐阜市で生まれ育った「はしづめ大」と申します。
高校卒業後、約10年間を東京で過ごし、
昨年の春に地元である岐阜市に戻って参りました。
地元を離れて東京に住んでいると、
離れたからこそ分かる岐阜市の良さ、
地元の良さというものを改めて実感するようになりました。
また同時に、
いずれは地元に戻って地元地域のために恩返しがしたい、
自分を育ててくれた岐阜市のため、
地元のために働きたいと考えるようになりました。
そして世間に大きな影響があったコロナ禍の中、色々と政治について考えることが多くなり、熟慮の末、色々なものが揃っている東京ではなく、やはり大好きな岐阜市のため、自分を育ててくれた地域のために何かしたい、自分が生まれ育った岐阜市の子どもたちのために何かしたい、という気持ちが強くなり、政治を志すようになりました。
ぜひ皆様の声をお聞かせいただきながら、一緒に考え、声を大きくして市政をはじめとする様々な場所に届けていきたいと考えています。
ここでは、私が政治を志したきっかけについてお伝えさせていただければと思います。
実は私は、小学5年生のときにいじめを受けておりました。
昨日まで仲が良かった子たちに無視されるようになり、遊んでもくれなくなりました。
もちろん全く理由は分かりません。
本当につらく、家族に心配をかけないように家で一人でこっそり泣いたこともありました。
そんな時に、自分が住む校区とは別の校区にある児童館を見つけ、恐る恐る遊びに行ってみました。
最初は緊張しましたが、自分のことを知っている人は誰もおらず、当然そこではいじめなんて関係なく、
ボランティアの大人の方も含めてみんな仲良く遊んでくれました。
家と学校以外で、今までの、いつも通りの自分を出せる場所として、当時の私にとって大きな救いでした。
今でもその児童館で遊んだ記憶が強く残っています。
それくらい重要な場所、逃げ場所だったのです。
このような経験もあり、小学生にとっての児童館に加え、多感な思春期の中高生のための居場所、
世間では第3の居場所(サードプレイス)と呼ばれるものが、
もっともっと世間に必要なのではないかと考えるようになりました。
月日は流れ、改めて身近に問題・課題を感じたのが大学生の時に塾でアルバイトをしていた時です。
ある日の19時頃、その日授業がない女子中学生の生徒が塾にやってきました。
自習をしに来たわけではなく、友達と喋りながら過ごしていたため、
その子に「今日はどうしたの?」と尋ねてみたところ、
その子は「親と喧嘩をして家に居づらくなって、学校も開いてないから塾にきた。
塾は居心地が良くて楽しいから」と答えてくれました。その時にハッと「なるほど」と思ったのです。
それまでは、塾は勉強をしに来るところで、
勉強のモチベーションを保つために生徒が過ごしやすい環境であればいいと思っていましたが、
この子の例のように家でも学校でもない第3の居場所(サードプレイス)としての意義もあるのだと感じました。
いじめられていた私の場合とは状況は違いますが、
気軽に行ける第3の場所という意味では同じくらい重要なことだと思います。
また、同時に「じゃあ、塾に通えない家庭の子供はどこに行けばいいのか?」とも感じました。
当時はそこまで問題になっていませんでしたが、そのような子が今でいうトー横などの繁華街に行ったり、
SNSを通じて人と会ったりして、何かしらの問題に巻き込まれてしまう危険性もあるわけです。
こういった子供たち、特に多感な思春期にある10代の学生たちのため、塾や習い事のようにお金がかからない、
基本的に無料で自由に過ごせる場所が必要なのではないかと感じました。
そうすれば、過去の自分のような子供たちもきっと救われるのではないかと思っています。
その他にも、家庭の状況によって塾や習い事に通えない子供と通える子供に別れてしまい、
差が出てしまうことも気になっていました。
今でこそ学習支援のような施策は色々な自治体で実施されていますが、
芸術やスポーツなどの文化的な学習・習い事について支援をしている自治体はあまり多くありません。
子供というのは、何がきっかけで興味や才能が目覚めるかわかりません。
しかしそのきっかけがない、つまり色々な体験ができないと、目覚めることも難しいわけです。
流行りの親ガチャという言葉ではないですが、
家庭の状況によってそこに差が出過ぎてしまうのは、果たしてどうだろうか?と思ったわけです。
どのような家庭に生まれ育ったとしても色々な体験ができる、
チャンスのきっかけに触れることができる、そんな社会にしたいと考えてきました。
上記の2点について、営利目的で不安定にもなりかねない民間ではなく、
自治体として公的に安定的に提供できないか、
と考えて、制度を決められる側、つまり政治の側に入って作ってみたいと政治を志しました。